ちょっと変なタイトルなんですが、まぁ一応経営者ですので、経営哲学の探究はつねにやっております。
自分自身に対しても、24歳の就職時点から「仕事とは?」を自問自答してきました。
53歳になるこの年齢でも、それを探求し続けています。まぁそれなりに自分が納得できる境地には達しています。
一応、経営者ですので、部下の教育・指導ってのもあるわけです。
対外的な代理店への、弊社の方針なんかも説明して理解してもらう機会が多いんです。
そう言うなかで、長年不思議に思い、言い続けている事があります。これは技術面でもそういう場面があります。
それは、
「《知っている》と《解っている》は違いますよ」
というものです。
「なるほど~そう言う事だったんですね。漸く解りました!」と言われると、天邪鬼の私は直ぐに「じゃあ、説明して!」
と言ってしまいます。これは、本当に「解って欲しい」という本心からそう言ってしまうんです。
すると、「え~っと~~~」「ん~~~~~っと」「いや、ソコまで解ってるというわけでも無く。。。」みたいな反応が多いんです。
これは、旧職時代の先輩や上司にも同じ事やってました。「解ったって言ったよね!?」とw
どうせ、あまり解ってるわけでもないよな~と思っていると、すぐ確認でそう言ってしまいます。
だって、本当に解って欲しいと思っていますので、相手が説明できれば、100%解って頂けたと思えるからです。
ところが、会社を経営するようになってからも、「《知ってる》=《解って居る》」な社員も昔は多く、実際は《解っている》レベルにはほど遠い
のを良く経験してきました。
この《知っている》≠《解っている》を納得して貰おうと、もう何十年も色んな説明をしてきましたが、上手く伝わらないもんです。
例えば、就職直後に電気系学部を卒業した同期が「理論は解っている。が、回路図は描けない。回路の説明も出来ない。」ってのが良くありまして、
私は「それ、解ってないって事じゃん!」と言ってました。
私の思う《解っている》は、大抵の質問には狼狽えることなく回答できるレベルです。
せめて、《解った》というのであれば、他の人にも説明出来る様に、質問にも答えられる様に《理解》していて欲しいもんです。
所が、この【《知っている》≠《解っている》】が解って居ない人がとても多いんです。
私の考えでは、【《知っている》=《(そのまま)覚えている》】のままではダメなんですよね。
特に、電気設計で回路設計をするとなると、《解っている》レベルに到達するのがとても大変でした。
前置きが長くなりましたが、この【《知っている》≠《解っている》】をもの凄く簡単に理解できる話を閃いたんです。
その閃きのヒントは、12月5日放送のNHK「チコちゃんは知っている」で放送された、《般若心経》の話です。
私の母親は完全に覚えていまして、毎朝仏壇で《般若心経》をあげています。私の秘書も、空で言えるそうです。
母なんかは、「あんたもちゃんと暗唱できるくらいまで練習しなさい!」と言うんですけどねw
「で、その意味・中身・内容は何?」と聞くと、大抵の人は回答出来ないと思います。
当に、それこそが、《知っている》=《覚えている》≠《解っていない》の状態です。
ここまで言えば、【《知っている》=《覚えている》】な人でも、≠《解っていない》という事が解るだろう!って思いました。
これでもダメならば私も、これ以上の説得はしませんw
実の所、大学時代に電子工作を始めて、《オームの法則》を完全に理解するのに2年位掛かった記憶があります。
そして、娘にも教えまして、そこは満点取れるくらいには教えられましたが、私自身が理解するまでには、ほんとに2年位悩みました。
良き仕事も良き人生も、全ては《解る》まで諦めないって事だと思うんですよね。
そういう雑談でしたw

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