私は55歳ですので、社会人人生はもう30年を超えました。
その中で出会った方々も様々で数え切れない方々にお会いしてきました。
勿論、年上の方も年下の方も、外国人も、かなりの国の方々とも。

ワリと私は外国人との議論が凄く上手く行きます。楽なんですよね。こう言う所が、外人と言われるところですかね。
また外国人の方々からは「お前はホントに日本人か?」と言われる事も多々有ります。

NordicSemiconductorAPAC(AsiaPacific Region)の営業のTOPだった同い年のスティーブと初めて出会ったときは、Nordic日本の山崎氏も一緒に、23時閉店の焼肉屋で25時近くまで盛り上がって居ましたw
この時は、スティーブから「俺は、15年もの間、日本と関わってきたが、『喋る日本人』と出会ったのは初めてだわ~」と。
" I have never seen the TALKING Japanese"と何度も言うんですが、何の事言ってるのか分からず聞いた訳です「何の事いってんの?」とw
もう兎に角盛り上がったのをおぼえて居ます。

で、今回のテーマの『確認』なんですが、これが対日本人同士だと上手く出来てないと長年思っています。

これには2つの側面があるな~と思っています。
これが外国人相手だと、体験したことが無いんです。

ではそれについて書いてみたいと思います。
 

相槌の「はい」「成る程」「(無言)」

私は、以前の役職がCTOでして、Chief Technical Officer でなく、Chief Talking Officerと冗談で言ってました。
すると、大阪在住の営業・ビジネスの師匠が「お前はKTOや! Keep Talking Officerってこっちゃ!w」と。
まぁ、良く喋る事で有名です。

会議だけでなく、飲み会でも、初対面の方にでも、兎に角喋りまくります。
まぁ、関西で言うところの『喋りぃ』って事ですかね。

ただ、自信をもってのCTO/KTOですから、相手が分かりやすい様に喋る事は非常に気を使っています。
技術的な事や、哲学的な内容、教育内容、etc全てにおいて、相手が理解できるように相当にかみ砕いて説明します。
なので、説明するまえにはパワポの資料を作成して準備することも多いです。
理解して貰うには必要であれば必ず準備します。
準備出来なかった場合等は、そこに有るホワイトボードや紙で必ず『図・絵』を即興で描いて説明します。

なので、海外で流行り始めた言葉やら英単語やら略語やらは絶対に使いません。
また、日本に伝わって流行り始める前のそういった単語も絶対に使いません。
良く経営論やらの話をする方が、そう言う言葉・単語・略語を羅列して説明される場面に出くわしますが、まぁ聞いていて納得感が得られることは先ず無いですw
そもそも、コミュニケーションや説明やセミナーで、共有されていない言葉・単語・略語の羅列をした所で聞いてる側は共有されていない以上は納得出来る訳ではありませんよねw

正直、そう言う説明をする人がワリと身の回りで散見するように成ってきた時代ですが、まぁだいたい発表されている本人も言ってる事を完全に納得しては居ないだろうな~wとは思っています。
「俺って、こんな最新理論を分かってるんだぜ」感が満載でw、自己陶酔してるだけでは?と皮肉めいた感想を持つ事も珍しくは無いです。
まぁ、だいたいそんな人の発表を聞いてる側としては、余程の信者でない限りはネガティブな感想を持っているもんです。
ただ、謙虚なのでご本人の前では言いませんけどねw
こと、セミナーやピッチなんかでは良く観ますよね。皆さんも1度や2度以上はご経験があるかと思いますw

そういう、理解できない・解釈できない・納得できない・聞いた事も無い言葉や単語や略語。。。
そう言う難しそうな話を聞いた時のだいたいの聞いている側の感想はと言えば、
「なんか、知らない言葉や単語や略語がマシンガンの様に飛んでくるな~! 周りの聴衆は頷いているが、知らないのは私だけなのか?
 その位当たり前なのか?その当たり前すら私は知らないのか?とてもじゃないけど、知らないとは言え無いな~」って経験もお有りでは?と思います。

その代表的な返事が、「はい」「なるほど」です。

理解してない、理解できない、しかしそれも言え無いし、質問したら恥をかいてしまうかも。。。
だから相槌として「はい」「なるほど」と言ったり、そう言うフリをしようって流れに身をまかせてしまう。これが日本人独特なんです。
外国人にはそう言うのが全く無いように思うんですよね。

私がLoRaWANテクニカルセミナーをSEMTECH社に頼まれて幾度もやった事があるんですが、5時間以上喋ってましたw
休憩は1回か2回だったような気がします。

この際は、聴講者が上述の事「はい」「なるほど」な対応になる事は分かっています。
なので、Q&A(質疑応答)のコーナを儲けてますが、「核心に迫る質問は出ない」事は想定済みなんです。

「何か御質問ありますか~?何でも答えますよ!ご自身では皆の常識?という様な疑問点と思ってる内容でも、基礎的なものでも何でもOKです」
と補足しますが、まぁ手は挙がりません。
そこで、「ちょっと28ページの所を振り返りますね。私はここで、『△△だから、自ずと××ってことになりますね』って説明しましたが、それならば『なぜ〇△×だとならないのか?なぜ××だとなったのか?』って疑問じゃないですか?w」と、私側から聴講者側が疑問に思うだろうなって点を逆質問します。
すると皆さん、挙って頷かれるんですよね。
「やはり、ここが分かり難かったんだな~。そうだとは思ったんよね~」と。

こう言う事です。全然そう言う事は私も充分理解していますので、悪いという事では無いです。
それもこれも、充分に相手に伝える為の私に責任のある『仕上げ作業』だと考えてますので、問題ないです。
目標は、完全に理解してもらう事ですからね。発表者の責任でもあります。

これ以外でも、社内で技術的な面を教育する場面が以前は良く有りまして(今は余りないです。今は皆優秀なので)、ホワイトボードに図・絵を描いて丁寧に論理的に説明するときです。
私の説明はかなり簡潔に直感的に理解できる様な解説が得意なので、だいたいは分かる筈なんですが。。。
説明していると「は~い、ハイ!ハイ!ハイ!」や、「なるほど~~~~!」と頷くんです。
中には指先でホワイトボードを指さして振るポーズがはいって猛烈に納得した感じを出す者も居ましたね~w
でも私の方からすると、「いや、相槌打ってるな?」と直ぐに分かりますw

こうなると、イジワルな私は、いえ!相手に納得するまで付き合いたい私はw、
「今、貴方! ハイ! 成る程! って言ったよね。じゃあ、貴方から今の内容を説明してみて!(とホワイトボードの図・絵も消しますw)」と言いますw

すると、だいたい図・絵も全く描けず、説明も一切出来ないんですよw
私「じゃあさ、貴方が理解出来たところまで良いから、そこまで描いて説明してみて!そしたらその続きを又説明してあげるから」
と手を差し伸べても、1行すら描けない・説明も出来ないんですよね。

まぁ、世の中の教育なんかこんなもんですw 現実ですからねw

因みにですが、安定化電源ICであるLDOのIC内部の動作理屈(理論)ってのはワリと簡単な部類ですが、説明の度に「ハイハイ!成る程!」と言うんですが、累計50回以上それを説明しても、最後まで1行も説明できないって社員も居ましたw
辞めましたけどね。そりゃ~もう向いてないですw 因みに、その経緯を観ていた証人は今、CTOやってますw 嘘じゃないと証明できますw

これどうでしょうか?ワリと皆さんも経験があるのではないでしょうか?
自分が若い頃には、「ハイハイ!成る程~!」と分かってないのについ言ってしまった経験だったり。
経験が増えてきて、教える側になると「ハイハイ!成る程~!」と言われるものの、「(表情を読んで)分かってね~な~orz」と頭を抱えてしまったご経験とかw
アルアルだと思います。

私の経験上、不思議な事にこの対応って『日本人だけ!』なんですよね。
外国人からそう言う反応を感じた事が無いんです。
メキシコ人の部下30名程をマネージメントしていた駐在時代においても、エンジニアもその下の作業員であるテクニシャンでも、こう言う反応ってゼロでした。

現代の日本では、これら「はい」「なるほど」は単なる相槌になってしまってると感じてるんです。
そして「(無言)」ってのも相槌の類いだと理解しています。

「はい」「なるほど」「(無言)」≒「よく分からないが、クセで相槌としての発言(又は無言)。発言者にも失礼になると行けないので相槌しとこう。」

ってことなのかな?と感じています。

「多分、あの人はこう言う(考えている)に違いない」⇒最近発見したより大きな問題。

「はい・なるほど・(無言)」の相槌に関しては、社内では一切禁句として宣言しています。
それらを使わなくてもコミュニケーションは可能だからです。
勿論、絶対に言うなという命令はなく「はい・なるほど」は本気で納得した時にだけ使う言葉だと言う事を言ってます。

もう、完璧に理解した時の台詞なんです。その位重い言葉だと認識させています。

これは結構昔から良く言ってますが、最近別の問題にも気付いたのでお披露目させて頂きます。

「多分、あの人はこう言う(考えている)!(に違いない)」という発言です。

これは私の家族も良く使うので、もの凄く嫌いなんです。
「なぜ貴方じゃない他人(相手)の考えを代弁してるの? その他人(相手)は本当にそういう風に思ってるの?考えてるの?そう言ったの?」
と問い返します。
すると、
「いや、絶対そうだって!そうに違いない!いつもそうだから!」となります。

私「イヤイヤ、他人(相手)がホントにそう言ったの?貴方が勝手に相手の代わりに決めつけて言ってるだけじゃない?」

家族「確かにそうだけど、絶対そうだって!自信がある」

私「じゃあ、今から電話して聞いてみ!?聞きにくいだろうが、立ち会って上げるから」となり、
確認すると全くその他人(相手)の意見は違っており、悪意もないし、深い意味もないし、勘ぐりすぎて、他人(相手)悪者に仕立て上げて、自分もストレス抱えてしまってるwww

誰も、+に成ってないんですよw
何故ならば『確認』をしてないから。

もっと言うと、確認することを『恐れている』『避けている』『面倒臭がってる』『確認なんかしたら、相手の気を害しかねないし、自分も疑われかねない』etc etc
だけなんですよね。

勿論、若かりし頃には私も似たような経験があります。勘ぐりすぎて自分が却って苦しんでしまう場面です。
ワリと歳をへてからは、そう言うのこそが面倒クサイと思う様になりましたw

つまり、『確認』すれば良いってだけなんです。

確かに、聞きにくいことも多々あるとは思うんですが、聞かないと自分も勘ぐりが激化してストレスになります。
そして必ず相手を悪者にしてしまう結末しかないんですよね。自分は悪くないと。

家庭でも良くある場面です。

これが、会社や社会でもよくあると思っています。
会社内だけでなく、会社外との業務においても似たような話は山程あります。

私は社内では、『確認された事実』のみで、報告し議論しなさいと厳命しています。
「相手先の担当のA氏は、こういう感じだからきっと○○だ」や「こう言うメールを送ってきたというのは、きっと△△な裏がある」etc etc
社内でいえば、
「小橋さんの基本的考えは××なので、きっとこう言うに違いない」とかw
「小橋さんは性格的に□□なので、こう反応するに違いない」とかw

こう言うものも、『確認』すれば良いだけなんですよね。
なぜ、『確認された事実』よりも、『思った事』を信じるのか?って事なんです。

事実、私に確認しにくる場面もありますが、想定外のイメージとての私とは真逆の意見を言うと、
「えっ?小橋さんは〇×△□と言うものだと思ってました」なんてことを言われたこともあります。

だからこそ、会社の哲学・理念としては、『確認された事実』しか信じません。
と言っているのです。

旧職時代もそうでしたが、
「上司に報告してもきっとこう言われて怒られる(だろう)」とか、
「論理的で確信的な案を提案した所で、どうせ反対されるから(言わない・提案しない)」とか、
「今の会社の決定は明かに間違ってるので方針転換をすべき(と思っているが、言うと反感を買うので辞めておこう)」とかetc etc

改めて、言いますが、これホントに日本人独特だと感じています。

なぜ、『確認』よりも『予想』を信じるんでしょうか?
占いを信じる日本人だから?いや、世界中に占いはありますからね~w

この原因分析を進めたところで、私なんかでは答えにはたどり着けませんから、現象の分析と対策にしか言及しないことにしています。

では、どうしたらよいのか?

まぁ、社長命令となると、理解もせずとも従うだけになってしまいます。
「分からない事は質問しろ・確認しろ」と言ってもなかなかそのように行動してくる人は出てこないもんです。

私は社会人人生において、後輩・若手で「コイツは優秀だな~!」と関心する人物が何人かいます。
その共通点は『気持ちの良い、図々しさ』を持ってる若者です。
若いのに、年長者である私に反抗・反論・反対してくると「お~~~~~!可愛いな~~!超優秀だな~!」と本気で思うんです。

旧職時代の他事業部の後輩のO君というのが居ました。飲み仲間の事業部の後輩でした。
初めて、焼き鳥屋で呑んだ時の話です。私は26歳頃から会社に不満があり、色んな新事業アイディアを披露して、切々と論理的分析を語っていたんです。
すると初対面のO君が私の話を遮って「おい!お前!(←お前ですよw) もう分かったから明日から会社来るな! 俺が代わりに退職届けを出しとくから、明日からそれ始めろ!」とwww

普通、こんなこと言われると喧嘩になると思うんですが、正直にその時「コイツマジで天才やわ!スゲー奴だな!」と大変気持ちが良かったですw
その後、O君は自分の事業部でも嫌われw 私の事業部へと社内募集制度を使って移籍してきたんです。
このO君は凄かったw
前事業部では、目の上のタンコブとまで言われ、事業部長からも名指しで彼の課長・部長にクレームが入ったりw
それで、一度彼から相談を受けて、「お前さ、俺の事業部来い!絶対に上手く行く! 話も部長に伝えとくから!w」ってことで、本当に移動してきました。
こんな、前事業部ではロクでも無い奴扱いされていた彼は、ほんの半年後には私の事業部の部課長から「O君は希望の星だ!アイツは凄い!」と評価に溢れていたんですからね。同じ会社で事業部が違うとここまで違うんか~と凄く勉強になったもんです。

彼こそが『気持ちの良い、図々しさ』が満点なんですよ。彼以上の後輩はこれまで出会ったことが有りませんw

一方、ダメな図々しさってのも有ります。
『気持ちが悪くなる、図々しさ』を発揮する人です。
反論・反抗・反対・異論の全てに腹が立つ人w 居ません?そう言う人w

実は、『気持ちの良い、図々しさ』を持っている人ってのは、もの凄く『気を使ってる』んです。
そこら辺の頭の回転がずば抜けて速いんですよね。気遣いに関しても、リアルタイムにどこまで言えば相手の気持ちを害さずに突っ込めるのか?
を凄い速度でシミュレーションしてるんですよね。
多分、私がどこの閾値が限界点なのかをジックリと分析し、見計らっての『図々しい意見』を言ってるんです。

もう天才としか思えませんよねw

身の回りにそう言う若手居ませんか?ワリと居ますよ。

このO君程ではないにしても、それに近い若者はいます。そう言う若手には思う存分やらせてはどうでしょうか?

そして、このタイプの人間の共通点が、
相槌としての「はい」や「なるほど」や「(無言)」を絶対に吐きません。
そして、
必ず、『確認できた事実』のみを話します。

恐らく、社会人になるまでに、良くも悪くも沢山のそういった経験を繰り返して育ってきたんだろうと思うんです。
勿論、周りの友人や恩師や家族の影響も多分にあると思います。

私が主張したいのは、そう言う社会人前の経験でなくとも、社会人になってからでも、そう言う人に成って貰うことは出来ると思うんです。

私はそう信じてますし、希望を持っています。

会社全体がそう言う人ばかりになれば素晴らしいと思うんです。

その実現には単純な基本を徹底することかなと賭けています。

それが、

①『相槌としての「はい」や「なるほど」や「(無言)」を一切させない』
②会社では、『確認できた事実』のみで話す。

これだけで良いと思うんです。
これを3年も続ければ、そう言うことが普通になる社員が出てきます。
そして、その社員がやってる行動が周りに伝播します。
次には、それが当たり前になって、会社の『風土・雰囲気』になります。

如何でしょうか?
そして、その実現には、上長自らがそれを実践しないとダメですし、そう言う行動を喜び、推奨する度量も必要です。

皆で、良い会社に仕上げて行く必要があると思うんですよね。
 

結論・まとめ

まず、個人の性格や考えを変えるのは、そうそう簡単な話では無いです。
変われる人で3年は掛かる印象ですね。
一方、会社の風土を変えるには、5年以上は掛かるでしょう。勿論、その風土が当たり前になるのに必要な期間と言うことです。
更に言えば、自分自身も『素直・謙虚・感謝』と『寛容』を元に、覚悟を決めねば成りません。

その中から、次第に『気持ちの良い、図々しい奴(若手)』が育ってきます。
上長としては、そう言う貴重で稀少な人材を潰してはならないという『鉄の掟』を守らねば成りません。

すると、日本人が多い日本企業の成長に結びつくのではないでしょうか?
勿論、答えでは有りません。
私よりも優秀で圧倒的な、企業の哲学をお持ちの方も居られますでしょうからね。
私はそこら辺の変なおっちゃん社長でしか有りませんのでw 悪しからずw
ただ、そう言う企業の実現に向かって、現状分析と改革を続けて行くという覚悟だけは人一倍強いとは思います。

技術屋オヤジのよもやまばなし(四方山話)

この私の理論は、ワリと当たっていると自信があります。
事実、まぁ私が優秀なのかどうかは怪しいですが、一応生き残っては居ますw

私はどちらかというと『気持ちが悪くなる、図々しい奴』の類いとして思われていましたからねw
少なくとも、私の課ではそうでしたかね~w

ところが、実際の所は解りませんが『気持ちの良い、図々しい奴』として扱ってくれた先輩と上司(部長)と他の課の課長群が居ました。
そう言う人達に救われていたのかな~と思う訳です。
部長に至っては、「やったらエエやん」が口癖でしたからねw

今、55歳になってそう振り返ります。

社長だけがガツガツしてて、社内は従う企業は絶対に成長しないと思うんですよね。
私が引退しても、更なる発展を導いてくれる様な若手を沢山育てて、『風土』を醸成することこそが社長の責任であり、役割なんじゃないかなと。

最近、漸くそう言うタイプの社員がかなり育ってきた実感があります。
ほんっと、『気持ちの良い、図々しい奴』が増えてきてます。
良く、反論される度に「そう!そっちの方が良いな!それで行こう!」なんて台詞が増えてきてます。
そして、反論され意見を言う度に「お前な~良いよ!良い!今の反論はなかなか言えんぞ!気持ち良いわ~~!w」なんて会話が良く有ります。

社長としては、そう言う成長を施し、誘導し、『気持ちの良い、図々しさ』を教え、褒め、覚悟としては『信用』することなんじゃ無いでしょうか。
『相槌』と『確認されない事実(予想)』で業務を遂行することを放置しますと、人は絶対に育ちません。

私が外部に対して言う台詞があります。
「莫迦じゃ無いんだから。頭は良いんだよ。それを(教育した上で)信用してあげんとな。頭良いんだから、任せても問題無い」
です。

企業経営の答えはこれだ!とは言いませんが、方向としてのベクトルは合ってると思うんですよね。

皆さんはいかがですかね?

因みに言いますと、最近『ゲーミング事業』なるものが立ち上がりました。
「やって良い」とは即答でした。しかし、まぁ立ち上がるのは24年頃からかな~と思ってたんですよね。
ところが、ゲーマー社員が担当しているからか、もの凄い勢いとスピードで私が認知する頃にはもうリリース直前といった感じでしたw
余りのスピード感にホントに驚かされました。
機構設計のT君と、CSOのKさんという異色のコンビによる事業です。

彼らの計画を聞けば、到底私が発想できないような行動力で、更に驚かされています。
そして、次なる戦略も立てているようで、ほんとに驚きです。

こう言う社員が出てきたことは、ホントに価値のあることなんですよね。楽しみです。
因みに、展示会に出展したことで、全く想定外の企業さんとのコラボレーション企画まで提案されたようで、これもまた「やってみた事の結果」です。
やらない間は、そういう結末には辿り着きませんからね。
 

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